ボクシングの歴史を分かりやすく解説!!
なんとなくボクシングをしたりボクシングを見ている人も多いだろう。
まずボクシングとは、拳にグローブを着用しパンチのみを使い、相手の上半身前面と側面のみを攻撃対象とする格闘スポーツ。
ボクシングに似た競技はフランスのサバット(ボックス・フランセーズ)のほか、タイのムエタイおよびムエタイをベースにした日本のキックボクシングやシュートボクシング等があり、それらと区別するための俗称として国際式ボクシングと呼ばれることもある。
オリンピックの歴史においても古くから正式種目であったことでも知られる。
今回は「古くからとはいつ頃からなの?」「いつ日本にボクシングが来たの?」
などの疑問を分かりやすくご紹介していきたいと思います。
(※諸説あり)
ボクシングの歴史
古代ボクシング
紀元前4000年ごろの古代エジプトの象形文字から軍隊で使われていたことが判読されており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からも、ボクシングの図が書かれた壺が発見されている。
古代ギリシア語では握りしめた拳をPUGMEといい、それからPUXOS(箱)となった。古代オリンピックでは第23回大会から正式種目となり、オノマストスが月桂冠をうけた。
この時代は全裸でオリーブ・オイルを塗り、拳には鋲を皮のバンデージのような物で包んだグローブのような物を着用、腕や肘でも攻撃できたようだ。
この当時はラウンドは無く、どちらかが戦闘不能、またはギブアップ(右手の人差し指を天に突き上げるとギブアップになったらしい)で勝負がつく。
この競技は第38回大会まで続けられた。この競技からパンクラチオンが生まれた。
ローマ時代に入ってギリシア語から羅: PUGILATUS(拳での戦い)、羅: PUGILISM(「ピュージリズム」)の言葉が生まれている。
奴隷同士が鉄の鋲を打ち込んだ武器のカエストゥスを拳に着けて、コロッセウムなどで見せ物として行われるようになり、観客を喜ばせるためにどちらかが死ぬまで戦わせた。
時には床に描かれた円の中で戦わせることもあったが、これが現在のリングの語源となっている。
しかし西暦393年に残忍すぎたため禁止となり、476年に西ローマ帝国が滅びると共に姿を消した。
ローマで再びボクシングが盛んになるのは17世紀後半になってからである。
中世ボクシング
イタリアやイギリス、オランダなどヨーロッパを中心に、護身として、レクリエーションとして細々と行われていたようだが、剣による護身が一般的であったため定着しなかった。
13世紀ごろのイタリアまたはイギリスの神父が「ボクシング」と名付け、近所の若者に教えたことが「ボクシング」の名称の始まりとする説もある。
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近代ボクシング
刀剣の携帯が一般的でなくなりだした16世紀前半ごろから、賞金をかけたベアナックル・ボクシングの形で徐々にイギリスで浮上の兆しを見せ始める。
現在のボクシングの始祖といわれるのは、1695年にイギリスのオックスフォードシア州テーム村に生まれたジェームズ・フィグ (James Figg) である。
🔻ジェームズ•フィグ🔻
彼は、レスリング、フェンシングや棍棒術を得意としており、1718年にロンドンで「ボクシング・アカデミー」を設立してボクシングを教え始めた。
彼が行った当時の「ボクシング」とはグローブを嵌めないベアナックル(素手)で行う一方で、拳打だけでなく蹴りや投げ、締め、噛み付き、目つぶしも許容された総合格闘術の様相を呈し、さらにはフェンシングや棍棒術といった武器術も含まれたものだった。
フィグ自身も教える傍ら自ら「プライズ・ファイター」(つかまれないように頭髪を剃っていた)として腕自慢達を倒して賞金を稼ぎ、護身術としても優れていると認められたボクシングとともに名声を得てイギリス初のチャンピオンとなった。1730年に36歳で引退し、1734年に39歳で死去した。
フィグの後継者であったジャック・ブロートン(Jack Broughton) が、自ら保持するタイトルの防衛戦の時、相手を殺してしまったために、「ボクシングを普及させるのはこのような危険は廃さねばならない」と考え、1743年に近代ボクシング初となる7章のルールブック「ブロートン・コード」(Broughton's Rule) を発表した。
その内容はベルト以下への打撃の禁止・腰より下の抱込みの禁止・倒れた相手への攻撃禁止、ダウン後30秒以内に立つことができなければ負け、リング(直径25フィートの円形、硬い土の上)などである。
練習とエキシビション試合の怪我防止用にマフラーの名のパッド入りグローブを開発した。
しかし、実際の試合にはグローブを用いることはなく相変わらず素手に近い形で行われ、1754年には死者が多いためイギリスでボクシングが禁止された。
このため、ボクシングの試合はフランスやベルギーなどで行われたが、貴族や富裕層の支持は根強く1790年にはイギリスでボクシングが再開され、1811年のイギリス人チャンピオン、トム・クリブ対アメリカ合衆国トム・モリノーの再戦には2万5千人もの観衆が訪れるほどとなった。
1814年に元チャンピオンのジョン・ジャクソンが英国ピュジリスト保護協会を設立し、1838年に29条からなる「ロンドン・プライズリング・ルールズ」を発表した。
🔻ジョン•ジャクソン🔻
その内容は、ベアナックルで行い、蹴り技の禁止・頭突きの禁止・目玉えぐりの禁止、ダウン者に30秒の休憩に加え所定の位置に戻るまでに8秒間の猶予を与えるなどであった。
このころのボクシングはダウンごとに1ラウンドとし50ラウンドにも及ぶ場合があり、序盤は拳や手首を痛めないように用心しながら、徐々に打ち合った。
1856年、フランスで八百長疑惑によりボクシングなどの興行がパリで全面禁止された。
1867年にロンドン・アマチュア・アスレチック・クラブのジョン・グラハム・チャンバースはルール保証人の第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラスの名を冠した、12条からなる「クインズベリー・ルール」(Marquess of Queensberry Rule) を発表した。
🔻ジョン・グラハム・チャンバース🔻
🔻クイーンズベリー侯ジョン・ダグラス🔻
🔻クインズベリー•ルール🔻
これにより、投げ技が禁止されたほか、3分1ラウンドとしラウンド間に1分間の休憩をとるラウンド制、グローブの着用、ダウンした者が10秒以内に立ち上がれない場合はKO負けとすることなどが定められ、現在に通じるボクシングルールが確立した。
定着は遅れ以前の「ロンドン・プライズリング・ルールズ」についても1889年7月にジョン・ローレンス・サリバンがジェイク・ロドリゲスと行った防衛戦まで続いた。
クインズベリー・ルールにより行われた最初の公認世界ヘビー級タイトルマッチは、1892年9月7日、ジョン・ローレンス・サリバン(ジョン・L・サリバン)対ジェームス・J・コーベット戦である。
コーベットは当時のスタイル「スタンド・アンド・ファイト」ではなく、相手から距離をとってパンチをかわし、左の軽いジャブを当て続けて相手を弱らせる「卑怯者の戦法」といわれたスタイルでサリバンを21回にKOし勝利をおさめた。
現在のように世界タイトルマッチのラウンド数の規定はなく、プロモーターや現地のコミッション的組織、対戦選手陣営同士の合意などで初期はその都度変わっており、初期の名選手で黒人初のヘビー級チャンピオンのジャック・ジョンソンの1915年4月5日の防衛戦では全45ラウンド制(※結果は挑戦者の26回KO)だった一方、その2回前の1913年12月19日の防衛戦では、全10ラウンド制(※結果は10ラウンドPTSドロー)でバラバラであったが、自身の防衛戦を全て全10ラウンド制で行ったジーン・タニーの引退後の1930年6月12日に行われた空位の世界ヘビー決定戦以降は、世界タイトルマッチは一部の例外を除きほぼ全15ラウンド制で行われるようになったため、1930年代の半ば前には慣例として『世界タイトルマッチ15回戦制』が事実上成立した。
しかし1982年11月13日以降の数年にわたって一連のリング禍事件が発生したことを受けて、世界戦をはじめ主要なビッグマッチにおいても最大12ラウンドまでに短縮される動きが広まり、現在に至っている。
🔻リング禍については🔻
日本のボクシングの始まりは?
日本人が初めてボクシングを目撃したのは、ペリー提督来航の時と言われている。
船上で水兵たちが拳に薄皮布を巻き付けて殴り合うという姿が頻繁に見られた。
その後、ボクシングを教えようとする道場などがいくつか設置された記録もあるのだが、結局門下生がいないなどの理由でほぼ機能していなかった。
日本でボクシングが本格的に始まったのは1921年、19歳で渡米し、サンフランシスコで修業を積んだ渡辺勇次郎が14年間プロボクサーとして活躍し、日本で最初の本格的なボクシングジムである「日本拳闘倶楽部」を設立した。
🔻渡辺勇次郎🔻
渡辺勇次郎によって選手育成が行われ、日本でも少しずつボクシングが知られるようになる。そして1927年、全日本拳闘会による日本選手権大会が初めて開催された。
その翌年のアムステルダム五輪には2人の日本人選手が出場し、1931年には全日本プロ拳闘協会が設立される。
ピストン堀口という怪物的な選手も出現し、ボクシングは一気に大衆の注目を浴びるようになった。
🔻ぴすとん堀口🔻
戦時中は一時下火になるも、1947年には戦後初の全日本選手権大会開催。
1952年には全日本ボクシングコミッションが発足し、プロの試合が中立な機関によって運営されることとなった。
そしてついに1952年5月19日、日本初の世界チャンピオンが誕生する。
世界フライ級タイトルマッチで、白井義男がアメリカの王者ダド・マリノに勝利したのだった。
🔻白井義男🔻
まとめ
最初は奴隷を使った見せ物だったことにショックを隠せませんが。
多くの人のおかげで今のボクシングがあると思うと考え深いものがありますよね。
ラウンド数の規制がない時代の45ラウンド制は少し笑っちゃいましたw
リング禍は現在でも少しありますがこれから色々規制など入って0になる日も近いかもしれませんね!
最後まで読んでいただきありがとうございました。