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【ボクシング】黄金の中量級についてまとめてみた

1980代に「黄金の中量級」と呼ばれた時代があるのはご存知だろうか?

トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナードロベルト・デュランの4人がそれまではヘビー級や主に重量級が人気だったボクシング界を変えた。

そんな彼らの紹介と黄金の中量級時代についてまとめていきたいと思います。

黄金時代を支えた4人のボクサー

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トーマス・ハーンズ

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アメリカ合衆国男性プロボクサー

テネシー州メンフィス出身。

初期のニックネームはマシンガン・トミー(Machine-gun Tommy)、後にヒットマン(The Hit Man)、あるいはモーターシティ・コブラ(The Motor City Cobra)。

史上初の4階級制覇さらには史上初の5階級制覇をも成し遂げた。

 

身長185cm、リーチ203cmという中量級選手としては非常に恵まれた体格を生かし、左腕をだらりと下げたデトロイトスタイル(ヒットマンスタイルとも呼ばれる)から放つフリッカージャブと正確な強打、マシンガンのように繰り出すラッシュで1980年代のボクシング・シーンを席巻した。

 

動画

 

マーベラス・マービン・ハグラー

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アメリカ合衆国男性プロボクサー

1980年から1987年までの間に、統一世界ミドル級王者として12度の連続防衛を果たした名王者

サウスポーのオールラウンド・ファイター(サウスポースタイルだが元々右利きで右強打が武器だったので右構えにスイッチすることも多かった)で、あらゆるテクニックと強打、試合運びの巧さ、強靭なメンタルを備え、「ミスター・パーフェクト」と呼ばれた。

 

スキンヘッドと彫像のように鍛え上げた褐色の身体が特徴。

ただし4戦目のDornell Wigfall 1戦目までは髪の毛が確認されている。

ミドル級としては長身とは言えなかったがパンチ力、強固なガード、タフネス(打たれ強さ)、両利きのフォームから動ける完璧なテクニック、ハングリー精神を兼ね備える。

同時代に活躍したシュガー・レイ・レナードトーマス・ハーンズロベルト・デュランのような派手な言動は好まず、現役時代は酒や煙草はもちろん、菓子やコーヒーすら口にしない修行僧のような生活を送った。

 

動画

 

シュガー・レイ・レナード

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アメリカ合衆国男性プロボクサーサウスカロライナ州ウイミルトン生まれ。

本名はレイ・チャールズ・レナード。

母親がレイ・チャールズのファンだったため命名したもの。のちにボクサーとして活動する際、尊敬するシュガー・レイ・ロビンソンにあやかって、シュガー・レイを名乗った。

ヘビー級が動くが如く、ボクシングは動く」とされたボクシング界の常識を覆して、ロベルト・デュランマービン・ハグラートーマス・ハーンズらと歴史的なビッグファイトを繰り広げ「黄金のミドル(中量級)」時代を盛り上げた。

 

ウェルター級歴代最速とも言われるスピードで、スーパーエキスプレスと称された。

特にパンチの回転力がケタ外れに速く、ここぞという時のレナードの連打は、カメラが捉えきらないほどのスピードを見せた。

アリの後継者と称されるだけあり、デビュー戦から全米ネットワークでTV中継がされるなど、早くからスターとして注目され、爆発的人気を誇った。

ハーンズとの第1戦は、特に評価が高く、「20世紀最後のビッグファイト」と称され、ボクシング・マガジン2009年1月号「500号記念特集」において、歴代ベストバウトに挙げている。

 

動画

 

ロベルト・デュラン

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パナマプロボクサー。ニックネームは「石の拳(コブシ)」ライト級からミドル級まで4階級制覇をした。同時代の列強と手合わせして、その強さをいかんなく発揮した。何と50歳まで戦った。

1980年6月、デュランは米スポーツ界の象徴的存在だったレナードを下し、母国はおろか世界ボクシングのヒーローになった。

しかし、その5ヶ月後のリターンマッチでは第8ラウンド途中に突如として試合放棄してしまう。

デュランはいったいなぜ戦うのをやめたのか。その時に本人が残したとされる“ノー・マス(英語のno more=もうたくさんだ)”という言葉とともに、この出来事はボクシング史上に残る謎として記憶されている。

 

動画

 

詳しく

黄金の中量級時代は1980年代で主にトーマス・ハーンズ、マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナードロベルト・デュランの4人が盛り上げていました。

他の3人全てに勝利しているのはレナードです。

しかし、レナードが最も偉大か、というとそう考える人は意外に少ないのではないか、と思っています。

1981年のハーンズ戦はとにかく素晴らしかったです。

その後、網膜剥離で一度引退をしますが、ハグラーのジョン・ムガビ戦を見て「このハグラーなら勝てる」と復帰。

1987年のハグラーvsレナードは、ハグラーの勝利を支持するファンも大勢いると思います。

その試合でレナードは沢山の条件を出し、もともとWBAWBCIBFの統一王者だったハグラーは、その条件を飲んだがためにWBAIBFの王座剥奪という憂き目にあい、結果負けてしまいます。

その後のレナードは、記録をつくるためと言われても仕方のないような試合に挑みます。

1988年、キャッチウェイトの1戦で2階級のタイトルがかけられるという謎。スーパースターへの忖度が見て取れます。

勝ち負け関係なく、本当の強い相手を追い求めたのは、ハーンズとデュラン。

ハーンズはハグラーやアイラン・バークレーに痛烈にKOされた試合も含めて、非常に魅力的な選手だったと思います。

初の戴冠戦からホセ・ピピノ・クエバスという超がつくほどの名王者からベルトを奪取、1981年のレナード戦では敗れますが、翌1982年には「天才」ウィルフレド・ベニテスからタイトルを奪取し、2階級制覇

ラスベガス恐怖の一撃」と呼ばれた伝説のデュラン戦、敗れはしましたが非常にスリリングだったハグラー戦。

1989年のレナードと引き分けた一戦も、ハーンズが勝っていたというファンは多いようです。

そしてハグラー、不遇とも言われる王者。

非常にストイック、デビュー以来連勝するも、なかなかタイトルの機会はまわってこず、無冠の帝王と呼ばれた時代もあったそうです。

1980年代のはじまりと同時にミドル級タイトルを獲得し、統一王者として1987年までの長期政権を築きます。

その12度の防衛のうち、KOは11。

まさに時代を代表するミドル級です。

ちなみにKOできなかったのはロベルト・デュランのみ。

ライト級で猛威を振るった石の拳を武器に、巨人相手に闘いを挑んだ非常にエキサイティングな選手でしたね。

 

まとめ

黄金の中量級時代を支え、ヘビー級や重量級などが主体だったボクシング界に革命を起こした4人のボクサーについてまとめてみました。

 

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