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ボクシング元WBC世界ライト級チャンピオンガッツ石松って何者?分かりやすく解説!!

前回の記事でヨネクラジムの事を調べているときにガッツ石松さんの名前が出てきたのですが、もちろん元プロボクサーで現在はテレビのバラエティーなどで活躍している人としか思って無かったのですがWBC世界ライト級チャンピオンと聞いてびっくりしたので詳しく調べてみることにしました!

🔻前回の記事🔻

 

effortsps.hatenablog.com

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ガッツ石松とは何者?

ガッツ 石松は、日本男性俳優タレント広島国際学院大学現代社会学部客員教授。元プロボクサーWBC世界ライト級チャンピオン。

本名は鈴木 有二(すずき ゆうじ)株式会社 ガッツ・エンタープライズ代表取締役社長であり、ガッツ・エンタープライズ所属。タレントの鈴木佑季は長女。

プロフィール

本名:鈴木 有二(すずき ゆうじ)

通称:鈴木石松

階級:ライト級

身長:172cm

リーチ:172cm

国籍:日本🇯🇵

年齢:72歳

出身:栃木県

スタイル:オーソドックス

 

戦績

51戦31勝(17KO)14敗6分

 

獲得タイトル

1968年度全日本ライト級新人王
第19代OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)ライト級王座
第12代WBC世界ライト級王座

 

生い立ち

昭和40(1965)年中学卒業と同時に上京し、ヨネクラジムの門を叩いた。まだ日本中が貧しく、中卒で働く人が少なくなかった。プロデビューは1年後。プロテストの受験資格に17歳以上と決まっているからだ。
ガッツ石松は自らが語っている通り、「負けの多い王者」だった。初めての王座獲得まで、5年1ヶ月,35戦を要している。驚くべきは4回戦だけでも15試合を戦っていること。結果は9勝(7KO)4敗2分け。

4回戦の勝率はお世辞にもいいとは言えない。「下積みの頃は自分から倒れたこともある。」と正直に語っているように、勝ち目の薄い試合でボロボロになるまでの我慢はしなかった。しかし、KO率の高さは特筆ものだ。「苦労人」のイメージからは意外だが、王者の登竜門と言われる新人王(昭和44年)を獲得している。
だが新人王になった直後、8回戦に進んで2試合続けてドロー。その次の試合では負けた。
ところが石松は、この敗戦からほぼ1年後に、なんと世界タイトルに挑戦することになるのだ。昭和45(1970)年の年明け、石松のボクサー人生に最初のチャンスが訪れる。

8回戦でいきなり2分け1敗と、下積み男の本領を発揮した石松だったが、大阪万博の年,1970年の正月に大一番が実現する。時の東洋ライト級王者,ジャガー柿沢の相手に指名されたのだ。柿沢は前年の4月にフィリピンの英雄フラッシュ・エロルデを破る金星を含め1分けを挟む11連勝中で、まさにキャリアのピーク。ところが、石松はこの柿沢を判定で破ってしまう。大番狂わせだ。そしてこの勝利から半年後、なんと世界タイトルマッチへの出場が決まる。

最初の世界挑戦は、1970年の6月。場所は中米パナマの首都,パナマ・シティ。時の王者は、65年にあのカルロス・オルチスから王座を奪い、この70年3月,L.A.のニューヒーロー,マンド・ラモスを倒して4年ぶりに王座に復帰したばかりの地元の英雄,イスマエル・ラグナ。華麗なボクサータイプ,技巧派の名選手だった。石松は、この歴史に残るテクニシャンを相手に、「惨敗」の予想を覆して13回まで持ちこたえた。英雄ラグナ相手の大善戦を最も評価したのは、日本のマスコミやファンでは無く、地元パナマの人々だった。

ラグナ戦から僅か2ヵ月後、石松は韓国ランカーに判定勝ちして再起した。ところがこの後がいけない。ライオネル・ローズ,レネ・バリエントスと、世界レベルを相手に2連敗。幸先よく始まった年は、結局終わってみれば5戦して2勝3敗。負け越しであった。
さらに苦闘は続く。明けて1971年3月。磐石の日本王者,高山将孝に挑戦したが、10回引き分け。格下を相手に調整試合を2つ挟み(連勝)、8月に柿沢の後継者となった東洋王者,門田新一に8回KO負け。暮れには韓国の強豪李 昌吉にも判定負け。ラグナ戦の貯金をすべて吐き出した格好となる。しかし、石松の「番狂わせ男」の本領はここで発揮される。

昭和47(1972)年1月16日。東洋王者門田から、予定していた防衛戦の相手が突然来日出来なくなり、試合の8日前にになって急遽,石松にお呼びが掛かる。既に世界に狙いを定めた門田陣営にとって、世界挑戦経験があり一度KO勝ちしている石松は、格好の代理挑戦者だった。試合の興味は門田が何回で石松を倒すか,に集まった。
しかし、前年の敗戦がウソのようにこの日の石松は絶好調。第1戦とは別人のような石松は、前回失速した中盤以降もガス欠せず、門田を翻弄した。12回判定勝ち。石松の腰に東洋のベルトが輝いた。世界への期待を一身に受けていた門田と、かませ犬として扱われた石松のボクサー人生が、この1戦を境に明と暗とに分かれていく。

東洋王者となった石松は、2回の防衛戦を含んでこの後5連勝。ようやくメイン・イベンターとして安定した実績を残す。そして初挑戦から3年後。2度目の世界挑戦の日が来た。場所はまたしてもパナマ。だが、今度はラグナ以上に相手が悪かった。「マノス・デ・ピエドラ(石の拳)」,ロベルト・デュランである。「生ける伝説」はこのライト級時代、まさにモンスターのような強さを誇っていた。だが、石松はラグナ戦に続いて想像以上の粘りを見せる。この試合も日本国内の予想はひどいもので、「3回持てば上出来。」とまで言ったメディアさえあったが、石松は全盛のデュランを相手に10回まで戦って見せた。パナマのボクシング・ファンたちは、「ススキ」の名前を胸に刻み込む。

デュラン挑戦の後、石松は再起戦まで5ヶ月の間隔を設け充分な休養を取った。そしてチャンスは意外に早かった。
運命の日,歴史的なアプセットは、昭和49年(1974)年4月11日。WBC王者ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)を、東京に迎え撃つ。3度目の挑戦にしてようやく地元での開催が実現したのだ。
WBA王者のデュランが圧倒的な強さを見せていた当時、このゴンサレスの評価も高かった。石松に対する国内の期待は今回も低く、ボクシング・マガジンの予想記事は「石松兄イの悔い無き健闘を祈る。」という言葉で結ばれ、記者会見場にはなんと5人しか取材記者が現れなかった。過去2度の世界戦での予想など、まるで記憶に無いらしい。学習能力も見る目もゼロだ。
会場は今はもう取り壊されて無くなった日大講堂。試合は、ラグナ戦を上回る技術と知力の戦いとなった。パンチ力とスピード,技術はほぼ互角、距離のせめぎ合いとカウンターの打ち合いで白熱した展開となる。
序盤は王者のペース。メキシコ伝統の巧みなボディ攻撃で石松を苦しめる。だが、4,5ラウンドあたりからその流れが変わる。石松のリードブローを王者が嫌がり始める。ワンツーのタイミングも合ってきた。そしてそのラウンドはやって来た。第8ラウンド。名匠エディ・タウンゼントと共に磨き上げてきた、ノーモーションの右ストレートが,左リードの引き手が戻り切る前に、まるでショート・パンチのようなタイミングと速さで打つ、「幻の右」が王者の顎を打ち抜いた。
リングに崩れ落ちるチャンピオン。「これは立てない!」興奮した観客は皆立ち上がって拳を振り上げている。
ところが、ここで前代未聞のスキャンダルが発生した!。なんと中立な立場に居るはずのレフェリーが、ほとんど気を失っている王者を、自らロープに寄り掛からせて試合を続行させたのだ。当然、石松のパンチを待つまでも無く、王者は力なく自らリングに倒れこむ。
するとこの恥知らずな主審は、今度は昏倒した王者を「スリップ・ダウン」とジャッジした挙句に、その手を引きずり無理やり立たせようとしている!。よくまあ暴動にならなかった。

しかし、この暴挙を眼前にして、最も冷静だったのは石松本人であった。エキサイトする自軍のセコンドをいさめるように「大丈夫。」と顔と目で合図を送り、1秒でも長く間を取って王者を回復させようとする主審の処置を、臨戦体制のまま見つめ続けた。試合は主審の破廉恥な謀略により再開されたが、もう王者には戦う力は残っていない。2度目と3度目のノックダウンがコールされ、愚かな主審の策略は泡と消えた。新王者の誕生である。歴史が変わった!。日本人のボクサーが、ライト級を制したのだ

参考記事🔻

プロボクシングにおけるジャパン・ドメスティック | Wolfy's room - 楽天ブログ

動画

www.youtube.com

 

まとめ•感想

生い立ちのの所は長くなっているのですがまるでの映画のロッキーを見ているかのような気分になるので是非読んでください。

現在で言う井上尚弥選手のような無敗のチャンピオンもかっこいいですが負けてもまた挑戦してまた負けてって感じでチャンピオンになるのもそそられるものがありますよね!

正直OK牧場のおっさんとしか思ってなかったですが今日から好きな人の一人になりました。

当時のことは知りませんが現在にもこーいったボクサーが一人ぐらいは居てくれたらボクシング界がもっと盛り上がるでしょうね!!

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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