【ボクシング伝説シリーズ】 ナジーム・ハメド
今回は伝説ボクサー第5弾!!
今までランキングを参考にしていたサイトが急に閉鎖してしまったみたいなのでここからはランキングなど関係なく私が伝説と思うボクサーを紹介していきたいと思います。
皆様の意見やリクエストがあれば答えていきたいと思っておりますので是非コメントなどで教えてください。
早速ですが今回ご紹介するのが日本では悪魔王子と親されたナジーム・ハメドについてまとめていきます。
🔻第一弾🔻
プロフィール
本名:ナジーム・ハメド
通称:プリンス、ナズ、悪魔王子
階級:フェザー級
身長:160cm
リーチ:163cm
国籍:イギリス🇬🇧
誕生日:1974年2月12日(47歳)
スタイル:変則型サウスポー
戦績
アマ:67戦62勝(17KO・RSC)5敗
プロ:37戦36勝(31KO)1敗
獲得タイトル
WBCインターナショナルスーパーバンタム級王座(防衛5→返上)
動画
ファイトスタイル
比較的リードブローを打たない、腕をだらりと下げガードをしない、飛び上がってパンチを打つという、近代ボクシングの禁忌をあざ笑うかのようなスタイルで相手を翻弄する。
背骨が直角に曲がるほどのスウェーバック、背面を完全に相手に見せるほどの深いダッキング、それらを瞬時かつ的確に行える反射神経と動体視力を駆使するため、避けることに関しては右に出る者がいない。
かといってディフェンス偏重なわけでもなく、スウェーバックしながらカウンターパンチを繰り出したり、バックステップしながらパンチを出す等、通常の選手であれば体重を乗せられず手打ちになってしまうようなパンチを放ち、なおかつそれで相手選手を平気でKOしてしまう。
戦略としては、薄ら笑いを浮かべつつノーガードのまま相手選手に近づいたり、ダンスを踊るようなステップで挑発し、相手選手の大振りを誘う。
それを軟体動物のように柔軟なウィービングでかわした後、突然足のステップとは関係ないタイミングで、体ごと相手に飛びかかっていくようなブローをお見舞いしてKOする試合が多く見られる。
なお、サウスポーを自称してはいるものの、スイッチを頻繁に行ううえに、右でフィニッシュすることも多い。
(文章では説明しづらいファイトスタイルですので是非動画の方をご覧ください)
生い立ち
イングランドのシェフィールドでイエメン人の両親のもとに生まれる。幼少の頃にブレンダン・イングルのウィンコーバンクジムでボクシングをはじめた。
アマチュアボクシングを経験した後、1992年4月14日に18歳でプロデビュー。
デビュー当時はフライ級であった。
1994年5月11日、ビンセンツォ・ベルカストロに判定勝ちし、EBU欧州バンタム級王座を獲得。
1994年10月12日、階級を上げ、WBCインターナショナルジュニアフェザー級王座決定戦でフレディ・クルスに6RTKO勝ちし、同王座を獲得。
1995年9月30日、更に階級を上げ、スティーブ・ロビンソンに8RTKO勝ちし、WBO世界フェザー級王座を獲得。
1997年2月8日、トム・ジョンソンに8RTKO勝ちし、IBF世界フェザー級王座を獲得。
2団体統一に成功。
IBF王座は2度防衛後の1997年9月に返上。
1998年4月18日、ウィルフレド・バスケスに7RTKO勝ち。
バスケスはWBA世界フェザー級王者であったが、王座を返上してハメドとの試合に臨んだ。
ハメドは実質的に3団体の王座を統一。
1999年10月22日、セサール・ソトに判定勝ちし、WBC世界フェザー級王座を獲得。
再び2団体統一に成功するも、WBC王座は1度も防衛戦を行わずに返上。
実質的に4団体の世界フェザー級王座を統一。
2000年10月、15度防衛したWBO世界フェザー級王座を返上。
2001年4月7日のマルコ・アントニオ・バレラとのIBO世界フェザー級王座決定戦に敗れプロ初敗北を喫した。
その後再起戦が予定されていたが、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起き、世界的にアラブ系人物へのイメージが急速に悪化したため中止になった。
約13か月のブランクを経て2002年5月18日にマヌエル・カルボとのIBO世界フェザー級王座決定戦に判定勝ちし、同王座を獲得。
2005年5月、英中部シェフィールド市内を速度約144km/hで運転し対向車と衝突、対向車の運転手に重傷を負わせた事件で2006年5月12日、英シェフィールド刑事法院から禁固1年3か月の実刑判決を言い渡された。
実質的に引退。
刑期満了で出所した後インタビューに応じる。服役中まったく練習しなかったせいか、かなり太っていた。
2014年12月、国際ボクシング名誉の殿堂博物館により殿堂に選出された。
現在
引退後もボクシングとの関わりがあり。
2010年にはイギリスの「カラム・ジョンソン」のマネージャーをしていると報じられている。
現在の情報は探してもなかったのだが、度々ボクシングの観戦に会場での目撃情報はあるみたいです。
エピソード
かつて、日本の薬師寺保栄がWBC世界バンタム級チャンピオン、辰吉丈一郎がWBC同級暫定チャンピオンであった当時、ハメドはWBC同級4位にランクされていた経緯があった。
日本のあるボクシング雑誌のインタビューで、ハメドは「ヤクシジは知っているが、タツヨシは知らないなあ」と言ったというエピソードがある。
派手なパフォーマンスとは裏腹に、熱心なイスラム教徒でもある。
リング上では、いつもイスラム教の神に祈りを捧げていた。
はじめの一歩のブライアン・ホークのモデルとして有名。
まとめ
第5弾はナジーム・ハメドをご紹介しました。
ボクシングファンなら誰でも知っていると思います。
変則ファイターとして有名で、かつ強かったですから、世界でも人気のあるファイターでした。
9:11以降は1試合だけしているのですが入場の際にはビールをかけられるなどなかなかひどいものだったらしいです。。。
引退理由としてはひき逃げの際の服役中に全く練習をしなかった為とされていましたが、ハメド本人いわく「拳が限界」を迎えていたとのこと。
最後まで読んでいただきありがとうございました。