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【ボクシング伝説シリーズ】オスカー・デ・ラ・ホーヤ

今回は伝説シリーズ第4弾!!

その男はオスカー・デ・ラ・ホーヤ、WBAWBC統一世界スーパーウェルター級王者、史上初の6階級制覇王者

1992年バルセロナオリンピック金メダリストの彼の成績や生い立ちなどをまとめていきたいと思います。(名前が長いので基本的にオスカーと呼ばせてもらいます)

🔻第一弾🔻

effortsps.hatenablog.com

 

オスカー・デ・ラ・ホーヤ

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プロフィール

本名:オスカー・デ・ラ・ホーヤ

通称:Golden Boy(ゴールデン・ボーイ)

階級:ウェルター

身長:179cm

リーチ:185cm

国籍:アメリカ🇺🇸

誕生日:1973年2月4日(48歳)

スタイル:オーソドックス(利き腕は左)

 

戦績

アマ:228戦223勝(163KO・RSC)5敗

プロ:45戦39勝(30KO)6敗

 

獲得タイトル

1992年バルセロナオリンピックボクシング競技ライト級金メダル

WBO世界スーパーフェザー級王座(防衛1=返上)

WBO世界ライト級王座(防衛6=返上)

IBF世界ライト級王座(防衛0=返上)

WBC世界スーパーライト級王座(防衛1=返上)

WBC世界ウェルター級王座(1期目は防衛7、2期目は防衛0)

IBA世界ウェルター級王座(防衛0)

WBC世界スーパーウェルター級王座(1期目は防衛2、2期目は防衛0)

WBA世界スーパーウェルター級スーパー王座(防衛1)

IBA世界ウェルター級王座(防衛0)

WBO世界ミドル級王座(防衛0)

 

動画

www.youtube.com

 

ファイトスタイル

基本に忠実なオーソドックス・スタイルを得意とし、インファイトからアウトボクシングまで完璧にこなすことができるコンプリートファイターである。抜群のスピードとテクニックで相手を翻弄する展開を好むが、一瞬の隙を突く強打も併せ持ち通算KO率は75%を上回る。特に左フックはフィニッシュ・ブローとして幾多のKO劇を演出した。また、コンビネーションも非常に多彩。

 

生い立ち

 

マチュア時代

祖父、父、オスカーの親子三代でボクシングを経験しているというボクサーの家系で育ち、5歳でボクシングを始めた。

ジョー小泉の著書『ボクシング・バイブル』によれば、「従兄弟とのボクシングでいつも打ちのめされていたことから当初はボクシングが嫌いだった」との記述がある。

マチュアでの戦績は228戦5敗で、端正な顔立ちとボクシングの才能によりアマチュアボクサーとしては異例の人気があった。

1990年および翌1991年のアメリカ合衆国ライト級マチュア王座を獲得しており、また1992年、19歳の時にバルセロナオリンピックのライト級で金メダルを獲得した。

 

プロ時代・4階級制覇

バルセロナオリンピックで金メダルを獲得した1992年同年にボブ・アラム率いるトップランク社と破格の契約金でプロ契約、同年11月23日にプロデビュー。

1994年3月にプロ12戦目でWBO世界ジュニアライト級王座を獲得、同年7月にWBO世界ライト級王座を獲得した。

1995年5月にはIBFライト級王座を獲得、これによりIBFWBO統一王者となった。

また、翌1996年6月にはWBC世界ジュニアウェルター級(現スーパーライト級)王座を賭けて当時の王者、メキシコのフリオ・セサール・チャベスに勝利し世界3階級制覇を達成した。

世界3階級制覇後も勝利は続き、1997年4月にアメリカのパーネル・ウィテカーと対戦、勝利しWBC世界ウェルター級王座を獲得し4階級制覇となった。

ウェルター級ではその後王座防衛回数7度を数えている。

1999年2月13日にはガーナの元WBA世界ウェルター級王者アイク・クォーティに判定勝ち。

 

5回級制覇

1999年9月に行われたIBF世界ウェルター級統一戦で同王座を持つプエルトリコフェリックス・トリニダードと対戦したが、判定負けによりデ・ラ・ホーヤはプロとなって以降初の敗北を経験した。

2000年2月、WBC世界ウェルター級王座の挑戦者決定戦でアメリカのダレル・コーリーと対戦しKO勝利を収め、王座挑戦権を獲得。

同年3月には前年に対戦したフェリックス・トリニダードが自身の保持していたWBC世界ウェルター級王座を返上したため、デ・ラ・ホーヤはそのまま同王座を再獲得した。

しかし、同年6月にアメリカのシェーン・モズリーとの対戦で敗れ王座を失った

2001年6月になってWBC世界スーパーウェルター級王者、スペインハビエル・カスティリェホに判定勝利し史上最年少、かつ最短で5階級制覇を達成した。

2002年9月14日、WBA世界スーパーウェルター級王者、アメリカのフェルナンド・バルガスと王座統一戦を行い、11回にダウンを奪ったデラホーヤが試合を決めTKO勝ち。

王座を統一した。

また試合後にバルガスからは薬物検査で陽性反応が確認された。

2003年5月3日、元IBF世界スーパーウェルター級王者ルイス・ラモン・カンパス(メキシコ)と対戦。

7回2分54秒TKO勝ちを収めWBA王座は初、WBC王座は2度目となる防衛にそれぞれ成功した。

しかし同年9月13日、既にWBC世界ウェルター級王座を失っていたシェーン・モズリーと再戦したが判定負けし、両王座から陥落した。

この対戦では採点不正の疑惑があり、後にプロモーターが召喚されている

 

史上初6回級制覇

2004年6月、WBO世界ミドル級王者だったドイツフェリックス・シュトルムに判定勝利、ボクシング史上初の6階級制覇を達成した。

しかし同年9月にはWBAWBCIBF世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスと対戦したが、プロキャリア初のKO負けを喫し王座から陥落した。

この敗北の後、1年8か月間休養を挟み、2006年5月6日、20か月ぶりの試合でWBC世界スーパーウェルター級王者、ニカラグアリカルド・マヨルガと対戦した。

初回にダウンを奪うなど試合を有利に進め、6回TKO勝ちを収め3年ぶりに同王座を再獲得した。

また10個目の世界王座獲得ともなった。

2007年5月5日、史上初めて4階級を制した無敗のフロイド・メイウェザー・ジュニアアメリカ)との「世紀の一戦」において、1-2の12回僅差判定で敗れる

メイウェザーはこの試合で5階級制覇を達成し、デ・ラ・ホーヤは王座を失った。

🔻世紀の一戦🔻

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2008年5月3日、元IBF世界スーパーフェザー級王者のスティーブ・フォーブスアメリカ)と対戦し、3-0の判定勝ちを収めおよそ1年振りとなる試合を白星で飾った。

 

現役引退・パッキャオ戦

2008年12月6日、アメリカ・ラスベガスMGMグランド・ガーデン・アリーナで、前戦でライト級王座を獲得した2階級下のマニー・パッキャオフィリピン)とウェルター級契約のノンタイトル12回戦で対戦。

試合前の予想はデ・ラ・ホーヤがブックメーカーの賭け率で1.5対2.5と僅差で有利だったが、試合は序盤から精彩を欠いたファイトでパッキャオの動きに全くついていけず、7回にはパッキャオの攻撃でストップ寸前に陥る(この回の採点はジャッジ三者とも8-10)など一方的な展開の末、8回終了後にコーナーでデ・ラ・ホーヤ自身がギブアップの意思を表明してTKO負けを喫した。

この試合がデラホーヤのラストファイトとなった

🔻パッキャオ戦🔻

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2009年4月14日、体力の衰えなどから現役引退を表明

2011年4月8日に行われたワールドプレミアムボクシングThe REAL13 副題(東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ)ではVTRながら日本にエールを送った

2011年8月30日、近年自身が重度の薬物(コカイン)、アルコール依存であることを発表し5月21日からリハビリ施設に入っていることを公表した。

飲酒は幼少期の9歳頃から行い、試合前に恐怖心を紛らわすために飲酒をエスカレートさせていったとしている。

引退試合となったパッキャオ戦でも体力の衰えもあり「勝てるわけがない」と思って飲酒と薬物に手を出していたという。

その後のインタビューで薬物、アルコール依存症が辛く自殺を考えたこと、浮気をしており一時期妻と別居していたことを語っている。

2011年9月上旬、薬物とアルコール依存を告白したのに続き「もう嘘はつきたくない、あれは自分だった」と、2007年に流出した自身が女性下着を着用した写真が本物であったことを認め、当時はコカインとアルコールの飲用で気分が高揚した状況下にあったと弁明した。

2013年9月10日、自身のゴールデンボーイ・プロモーションズが主催するフロイド・メイウェザー・ジュニアvsサウル・アルバレスのプロモーション活動を精力的にこなしていた矢先、試合4日前に緊急でリハビリ施設へ入り療養に専念することが発表された。

2015年6月29日、現役復帰について五分五分であると復帰する考えがあることを一旦は公表するが、家族と話し合い自分を見つめ直した結果、現役復帰を断念したことを発表した。

2017年1月25日、ロサンゼルスで飲酒運転で逮捕された。

2017年11月15日、現役復帰をして総合格闘技UFCコナー・マクレガーと対戦するために5ヵ月間ひそかにトレーニングをしてきたと明かし、「ケージでは彼に破壊されるだろうから、リングでやろう。マクレガーを2ラウンドでKOできる」と対戦表明をした。

2019年2月27日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの契約選手であるライアン・ガルシアに頻繁に接触したり、公の場でガーボンタ・デービスとの対戦オファーを出すなどしていたフロイド・メイウェザー・ジュニアに対し、デ・ラ・ホーヤは、それらの行為は違法行為だと通告し今後はガルシアに接触しないよう警告する法的文書を送付した。

2020年5月5日、CBS Sportsのポッドキャストで「マクレガーを2ラウンドでKOできる。オクタゴンの彼は大好きだし、尊敬もしている。彼の試合はいつも見るよ。でもボクシングは全く別の世界だ」とコナー・マクレガーを挑発すると、マクレガーがツイッターで「俺はあなたの挑戦を受ける。オスカー・デ・ラ・ホーヤ」と応じるも、デ・ラ・ホーヤは「はっきりさせておくが、マクレガー。私はあなたに挑戦したことは決して無い。私は単に質問に対して本当のことを話しただけだ」とツイッターで返答し、さらに立て続けに、デ・ラ・ホーヤが2017年のフロイド・メイウェザー・ジュニアvsコナー・マクレガーを批判して以来因縁が有るUFC代表ダナ・ホワイトへも唐突に「おまえはクソガキだ、ボクシングエアロビクスの先生だった時以外でボクシンググローブを着けたことないだろ。おまえは運良くUFCの10%を持てただけじゃないか」とツイッターで挑発した。

2020年6月23日、エキシビションでの復帰を宣言したマイク・タイソンに触発される形で、「まずタイソンの復帰戦の動きを見てから決定したい」と、エキシビションではなく公式戦での現役復帰を真剣に検討していると表明した。

 

現役復帰

2020年8月19日、デ・ラ・ホーヤが「本当の戦いをする。ボクシングが好きで、リングが恋しい。今があるのはボクシングのおかげ。今はそれを失っている」と、現役復帰を表明

現役選手を「15~20年前のレベルにはない。金を求め過ぎ」と批判し、「私は栄光のために闘う」「トップの選手なら誰とでも」と対戦を希望した。

2020年12月、デ・ラ・ホーヤが「私にとってゲンナジー・ゴロフキンがどれほど楽な相手かわかるだろ。彼みたいなタイプの選手に対していつもうまく戦ってきたし、常に勝ってきたからね。自分の中ではそれくらい楽な相手だ」と語ったことに対して、ゴロフキンが「自分がどれだけ汚い口をきいているか分かっているのか、オスカー。やつが何をしゃべろうと勝手だが、こちらも言わせてもらう。リングの上で合法的に人を殺すチャンスがあったら、俺はその機会を活用する」と激怒した。

2021年3月26日、動画投稿アプリケーション会社「Triller」が主催するジェイク・ポール vs ベン・アスクレンの試合記者会見でサプライズでステージに登場し、「7月3日、私は現役復帰します」と、Trillerが7月3日に主催するペイ・パー・ビュー興行で現役復帰すると発表した。

2021年4月17日、Trillerが主催する興行のジェイク・ポール vs ベン・アスクレンでコメンテーターとしてテレビ解説席に座るが、酒に酔っぱらい、ふざけたコメントや試合を茶化すようなコメントを連発して、視聴者の反感を買い、後日謝罪をした。

2021年5月13日、元UFCのスター選手ジョルジュ・サンピエールとの対戦を目指していたが、ダナ・ホワイトがサンピエールにデ・ラ・ホーヤとの対戦許可を出さなかったことで交渉が頓挫し、元UFC選手のエディ・アルバレスにも対戦を断られたことで、デ・ラ・ホーヤの復帰戦が7月3日から9月に延期になったことをTrillerが発表した。

2021年6月9日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの子会社として新たなプロモーション「KOエンターテインメント」を設立して、実験的な試みの格闘技興行「バリーズ・ファイト・ナイト」を開始した。

テレビ画面内にテレビゲームのストリートファイター鉄拳などの対戦型格闘ゲームで存在する「体力ゲージ」を表示させ、選手のグローブ内にセンサーを挿入して、グローブが相手にヒットした際の強弱で体力ゲージが100%から減っていく初心者にも選手のダメージが視覚的にわかり易い仕組みを構築して、ボクシングと総合格闘技の試合を行った。

2021年6月17日、元UFC選手のビクトー・ベウフォートと9月11日に対戦することが発表された。

2021年9月4日、デ・ラ・ホーヤが自身のツイッター新型コロナウイルスに感染したことを報告、ビクトー・ベウフォートと対戦することになっていた9月11日の現役復帰戦が延期となった。

 

まとめ

今回はオスカー・デ・ラ・ホーヤについてまとめてきました、彼は現在選手時代からボクシング興行会社「ゴールデンボーイ・プロモーションズ」を立ち上げ、選手引退後も最高経営責任者を務めている

実力は伝説のボクサーにランクインするに充分ですね、プロモーターとしても成功していて顔もイケメンで羨ましいですねw

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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